鬼退治

日々の営業お疲れ様です

 

先日

鬼のマナー講師、平林都先生が

 

受講していた女性スタッフを

罵倒し泣かせたとして物議を醸していました。

 

この問題

 

おとぎ話でいう

桃太郎が、鬼を退治できずバットエンド。

 

そして

 

外野がネットで援護射撃し

 

やれ暴言やハラスメントだと

正義感ぶって炎上ネタにしています。

 

だもんで!

 

この燃え盛る火に

私の独断と偏見をブチかまし(笑)

 

講師側を援護射撃したいと思います(^^

 

以後、耳障りが悪い方はご遠慮下さい。

 

ではでは。

 

この時事ネタを

私なりの真面目な考察をすると

 

教えと学びの関係性を考えるワケです。

 

何を継承していくにも

何を伝承していくにも

 

教えるアウトプット側と

学びのインプット側があります。

 

そして『学ぶ』という言葉は

 

真似る

まねぶ

学ぶ

 

が語源のインプット。

 

この語源を守るというのは

 

好きや嫌い

納得することや理不尽に思う感想を抜きにして

 

丸ごとインプットしてしまう事。

 

先人のアウトプットすることを

自分の感情で精査すると

 

神髄にまでたどり着けないからです。

 

何でもそう

一流の教えって

その講師や師範代が何年も何十年も掛けて

ようやく着いた極致

 

極意なんです。

 

こんな方の教えを1日聞いたことで

サラっと登れてしまっては

 

その『頂』ってめちゃ低くないでしょうか!?

 

だから

 

今回の罵倒され

泣いてしまった女性スタッフは

 

学ぶ覚悟が三流だったんです。

 

だから感想が際立つんです。

 

 

武道でもスポーツでも

マナー講義でも

 

一流であるほど厳しいんです。

 

極意とは

そんな『甘ちゃん』な教えではないってことです。

 

優しく教える三流レベルって

講師から『お客さん扱い』されてるだけです。

 

それは

弟子ではありません。

 

だから

 

学ぶ側は

鬼の指導に感想を持たず一心不乱に全部受け取る!

 

そうすることで

一流の経験則が、自分の経験則になるってことです。

 

 

 

【今日の隠し味】

教えと学びの世界では

講師より出来る弟子になることが鬼退治。

 

これがハッピーエンド。

 

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